アンダーグラウンドより

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努力は高い確率で無駄に終わる

 

「努力は美徳」とはよく言われますが、果たして本当にそうでしょうか。

 

僕は努力そのものに価値があるようには思えません。

 

今回は努力は高い確率で無駄に終わるよ、っていう理由を3つほどお話しできればなと。

 

 

努力が無駄に終わるケース①

まず、努力というものがどういう性質を持ったものなのかというと、その言葉の背景には、我慢してやるものという意味が含まれています。

 

これは努力がどういう時に使われているのかを考えれば分かりやすい。

 

大抵努力と使う場合は「嫌だけど、仕方なくやる」とか「やってないやつよりやってるほうがいい」みたいな意味合いで使われることが多いです。

 

したくはないんだけど、やっとけばどうにかなると思うから頑張るという構図。

 

でも経験から言っても、好きでもないことを無理に続けても思うような効果は得られません。

 

むしろ、努力を傾けている対象のことが嫌になります。

 

それに必然的に苦痛を我慢する期間が生まれるので、もし仮に報われたとしても失うもの(時間や精神的なダメージ)とトレードオフの関係になってしまう。

 

反対に、好きなことをしているときの努力(第三者的に見て)は努力と呼びません。

 

その傍から見た努力というのは、好きだから続けているだけであって、張本人にしてみれば努力として認識してすらない。やりたいからやっているというだけのことです。

 

で、この時に大事になってくるのが、努力をしている人と好きだからやっている人の力の発揮具合。

 

どちらがより成果に結びつきやすいかというと、間違いなく後者です。

 

これは自分が好きなことを思い浮かべて貰えば分かりやすいかと。

 

そうですね、例えばゲームが死ぬほど好きでその中でも特にRPGが好きという人がいるとします。

 

で、新しいソフトを購入したとして、おそらくその人はRPGを極めようとしてゲームに没頭する。

 

もしその人が仕事をしている場合なんかは、帰宅してからゲームを無理やりでもするでしょう。

 

そうするとどうなるかっていうと、ゲーム内の主人公はどんどん強くなって、短期間でゲームをクリアする。

 

クリアさせたその人は達成感で満足する。で、おそらくその時本人は努力したという認識は持っていません。

 

逆に、ゲームが苦手だけど、クリアすればいいことがある(ないけどw)と言われてゲームを始めた人は、いいことの大きさに比例するにしろ、苦痛を感じながら主人公を育てていくことでしょう。

 

やりたくないことを頑張ってやるわけです。

 

そして、その時の体験は嫌々やっている人からすれば努力と呼ばれるものです。

 

ただ、嫌々やっていることに変わりはないので、主人公を育てるという意識は低いでしょうからクリアするまで時間がかかるし、苦痛を感じてしまう。

 

もしその人が何とか頑張って、そのRPGをクリアしたとしても、次にゲームをやる時はさらに嫌な思いは強くなっていると思います。

 

で、両者をこう比べてみて、どちらがより多くの成果を得ているかということ。

 

単純に達成感や満足感、ゲームクリアという成果を獲得しているところを見ると、明らかに後者ではないでしょうか。

 

まあ、上記のはちょっと極端な例でしたけど、何にしろ、好きの度合いが最終的には成果に比例すると僕は考えています。

 

もちろん、成果がどんなものかにもよるし、最初から成果がないもの(本人が望んでいるものが得られないもの)に取り組んでいる場合は結果が変わってきますけどね。

 

上の説明を簡単に表してみます。

 

嫌い(努力大)→やや嫌い(努力小)→普通(こなせる)→やや好き(可能性あり)→好き(可能性大)

 

というように、努力とはつきつめれば我慢に他ならないわけで、結果的に効率が悪いのです。

 

努力が無駄に終わるケース②

 

努力が無駄に終わる理由の2つ目は、そもそも報われない努力をしている場合です。

 

無駄な努力とは何かっていうと、思いつく限り2つあって。

 

1つは、進む方向を間違えた努力。で、もう一つは努力そのものに価値をおいた努力、要するに努力至上主義のこと。

 

1つずついきましょう。

 

まず進むべき方向を間違えた努力とは、結果に結びつかない方法で努力してしまっている頑張りのことです。

 

説明するのがめんどくさいのでことわざで言ってしまいますけどw、その努力とは暖簾に腕押しと呼ばれるもの。

 

そもそも道筋とゴールがみえていない上でやるがむしゃらな努力というのは効率が悪いし、一か八かの結果しか生みません。

 

例えば受験勉強。

 

ここでいう悪い努力で受験勉強に取り組むのなら、全教科ひたすら勉強するということになるでしょう。

 

そこには点を取るという視点がなく、何をしていいかが見えていません。

 

しかしこれだと、受験する学校が求めているもの、近年の出題傾向、点数の取りやすい科目が分かっていないので、思うように点数は稼げないでしょう。

 

大雑把に言うとこれが、進むべき方向を間違えた努力です。

 

で、もう一つの努力に価値を置いている場合も大体同じで、努力を手段ではなく目的にしているので、行く先が見えていないという特徴があります。

 

ただ、こちらはそれを自覚しているなら問題ないと思ってて。

 

努力している自分が好きということを分かったうえでやるなら、それはそれでいいかもしれない。それで報われているのなら。

 

とはいえ努力自体が好きという人を僕はあまり見たことがありません。さっきも言ったけど、努力は我慢することと同じなのでね。

 

まぁどちらにしろ、ゴールを想定せずに始めた努力というのは、高い確率で無駄に終わります。

 

努力が無駄に終わるケース③

 

理由③については、最近読んだ本に書いてあったことをそのまま書くだけなので、「ほう、そんな考え方もあるのか」程度に留めて下さい。

 

理由の3つ目は、もはや今の時代が努力でどうこうなる時代ではないからという理由。

 

どういうことかというと、努力したぐらいで望んだものを手に入れられる時代はとっくに終わっているという意味。

 

今までは努力した人がある程度報われる時代だったけど、今は物やサービスが溢れかえっているので、多少努力した程度のものでは通用しないということ。

 

厳しい意見ではあるけど、確かにその通りだと思います。

 

皆さんも何かを始めるとき、やりつくされた感があるなとヒシヒシと感じていないでしょうか。

 

それが努力が報われない理由でもあるし、現代を覆う閉塞感の正体でもあります。

 

じゃあ、どうすれば成果を獲得できるかというと、結局は運ということになる。

 

個人や企業が出来る努力は大抵やりつくされているので、あとは運でしかない。さらにこれからの時代は運的な要素が益々強くなるらしいです。

 

一番わかりやすいのが、創作を生業にする人達。

 

例えば人気ミュージシャンになることを目標にしているバンドがいたとして、そのバンドが自分たちなりに努力をしたとしても、成功するとは限らないし、そもそも世間の評価に比例しませんよね。

 

1番努力して頑張ったやつが売れる世界なら、今の構図はあり得ないですから。他意はないけどw

 

そして、これからはますますその傾向が強くなる。

 

そこで、「だったら努力をするという考え方ではなく、好きなことをして生きていくのがベスト」だと本の筆者は言います。

 

努力しても報われないのなら、せめて好きなことをやる方がいいという訳ですね。

 

完全に著者の意見だけど、こういう見方もあって、その観点から言っても努力は無駄に終わるといえないでしょうか。

 

努力は無駄なのか

ここまで色々と書いてきましたが、厄介なのが努力が全部が全部、無駄ではないということです。

 

僕も出来ることならこの流れのまま、「努力反対!みんな今日からパーティピーポーになっちまいなよ」とか言って終わりたかったですが、どうやらそうもいきません。

 

なぜなら、人生において嫌でも何かを成し遂げなければいけない瞬間があるからです。

 

さすがに好きなことをして生きていくにしても、全部が全部好きなことだけってのはあり得ないでしょうし。

 

そして、その辺の判断は自分の頭で考え、バランス感覚をもって行うべきです。

 

先ほども書いた通り、自分のためになると確信できたのなら、効率のいい努力をする。

 

受験にしろ、仕事にしろ、やって損はない・自分の力量に適っていると思えたときに始めて努力をするというのがいいのではないかなと僕なんかは思います。

 

そして、そうすればきっと、その努力は無駄には終わらないでしょう。

 

以上。