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ウサギとカメの昔話をより実用的な寓話に変えてみた

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どうも。兎でもなく亀でもない、もぐらだ。
 
皆さんご存知、アイソーポスによって書かれた寓話「ウサギとカメ」
 
日本人の脳裏に強烈に焼き付けられているこの話、知らない人を探す方が難しいというほど大衆にとってメジャーな物語なのだが、皆さんはこの話が伝えていることをどのように解釈しているだろうか?
 
「努力すれば報われる・・・」「油断大敵・・・」
 
まぁ、おそらく大半の人は、美談的な話だとか努力至上主義的な話みたいなイメージを持っているんじゃないかと思う。
 
しかし後々説明する予定だが、それでは現実に符号しないし実生活でほとんど役に立たない。
 
そこで今回は、不肖ながら私もぐらが「ウサギとカメ」に少しだけ手を加え、より現実に沿った話に変えてみた。
 
てかアイソーポスって誰よ?ポスって何なのよ?(※日本でいうイソップのことです)
 

ウサギとカメ

 

知らないという方のために、一応物語の概要を。
 
 
従来の話
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
 
 
従来の教訓
過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。(wikipediaより)
 
 
という具合である。
 
 

新・ウサギとカメ

 
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは後ろを振り返ることなく持てる力で走り続けた。その間もカメは着実に進むが、ウサギの姿はいよいよ最後まで見えることはなかった。結局カメがゴールにたどり着いたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするウサギの姿であった。
 
 
教訓
能力がある者が努力することによってより大きな成果を得ることが出来るということ。また、能力がなく、歩みが遅いものは活躍できるフィールドを考え直す必要がある。
 
 
こんな感じになった
 
 

ウサギとカメ的な考え方

 
従来の話はそれはそれで道徳的に美談だし、日本人が好みそうな話ではあるが、肝心の教訓が実社会では全く生かせないのも事実である。
 
なぜならカメのように努力すれば必ずしも結果が付いてくるとは言えないし、ウサギのように才能のある者が都合よく居眠りしてくれるとは限らないからだ。
 
実際は、努力しても報われないかもしれないし、能力のある者ほど向上心に溢れていたりする。
 
 
そう言ってしまうと、「あくまで童話の一つでしょ」とツッコまれそうだが、実はこれと似たような話はそこかしこで散見される。
 
寓話だったらシンデレラとか三匹の子豚とか。
 
シンデレラは不遇な環境の中、幸せになることをあきらめなかった話だし、三匹の子豚は、頑張って作ったレンガの家によって狼から身を守るという努力推奨型と、先を見越して危険を察知するという備えあれば憂いなし的な教訓をミックスさせた話だ。
 
範囲を広げれば、ドラマや漫画でもこういう系の話はよくある。そして、それらの作品のニュアンスは多少違うものの、根底に流れるメッセージはどれも同じだ。
 
それは、”努力や苦労はいつか必ず報われる”というものである。
 
ウサギとカメ同様、そこから分かるのは、日本人はこの手の話が好きなのだろうということ。努力すれば何か大きな力によって幸せになれるみたいな話が大好物。
 
でも、それって本当に人生をより良くするのに役に立つ考え方なのだろうか?
 
ここからは個人的な意見になるけれど、僕はそうは思わない。
 
なぜなら、ウサギとカメ的な考え方は、間違った方向に進んだ際、その間違っていることに気づけないか気づかないふりをしてしまうという欠点を抱えているからだ。ブラック企業問題を例にとるまでもなく、この考え方は、追い詰められても逃げることは許されないという強迫的な思想を孕んでいる。
 
努力は、適正な量と方向で効果が出る。
 
見境もなくがむしゃらに頑張れば、結果が出るとは限らない。
 
ウサギとカメ的な考え方は、その事実を曇らせ気付かなくしてしまう力を持っていると僕には思えてならない。
 

新・ウサギとカメ的な考え方

 特段この考え方が優れているとは思っていないが、あくまで実用的という観点から見ると、こちらの方がより好ましいと感じる。
 
新・ウサギとカメで言いたいことは要するに、本質を見誤ることなかれということに尽きる。
カメにとっての強みは何なのか?ウサギが本当に意識しなければいけなかったものは何だったのか?
 
つまり、そこの見定めさえ上手くいっていれば、従来の話のようにはならなかったはず。
 
カメが自分の利点を理解し相手の能力を正確に判断出来ていたら、かけっこという勝負を挑まなかっただろうし、ウサギはウサギで、カメに気をとられていなかったらあっさり勝っていただろう。
 
そしてこのようなボタンの掛け違いは、誰しも実生活で幾度となく経験していると思う。
 
参考として、夢見るミュージシャンを例にとって考えてみよう。
 
ミュージシャンで成功することを夢見ているAは今年で29歳のフリーター。年齢的にこのまま夢を追いかけるべきか、別の道を模索するべきかの判断をしなければいけないちょうど境目の齢である。
 
A的には何としてもミュージシャンとして成功したいと考えてはいるが、バイトをしながらの生活は決して楽なものではないし、将来への不安も高まりつつある。
 
そして薄々ではあるが、自分の才能がこの世界で通用しないこともAは勘づき始めている。ただ、今まで音楽にかけてきた膨大な年月が思考を継続へと向かわせ、判断を先送りにしてしまっていた。そのような思いを宿らせつつも淡い期待を捨てることは出来ず、Aはただ惰性の日々を送る。
 
そう、それはまるで、宝くじを買い続け、次こそは当たると信じる人間と同じ心理で、何の根拠も存在しない日々である。
 
と、そんな葛藤を抱えるAの元へ母親から1本の電話が鳴り響く。「もしもし・・」
 
母親からの話の内容をまとめると、どうやら母親が地元で正社員として雇ってくれる会社を見つけたという主旨の電話であった。Aは一瞬、スーツに身を包んで出社する自分の姿を思い描いたが、サラリーマンの集団の中を歩くその様を、必死で頭の中から追い出す自分も同時にいた。
 
・・・果たして、Aはどちらの道を選択するのか?
 
みたいな笑
 
これを従来の話の教訓に当てはめてみると、音楽活動を自分のペースでコツコツ続けるという選択になる。しかしそれはAにとって最善の選択と言えるのだろうか?
 
もちろん、夢を持つことは人間の最大の武器だと思うし、夢に生きている人も素晴らしいと思う。それを否定するつもりは更々ないが、夢に生きた結果、得られるものが自己満足だけだったとしたら、どうだろうか。最後に残ったものが自己満足だけだったとしたらAは幸せなのだろうか。
 
正直、そこは人それぞれの価値観に依るとしかいえない。が、少なくともミュージシャンを続けることで被る代償は夢をあきらめるという選択よりはるかに大きい。年齢的にもやり直しがきかなくなってくるし、親にも心配をかける。収入面においても不安は残り、将来設計も不透明なままだ。加えて、現状を鑑みると、夢を実現するハードルも高そうである。
 
この場面で僕がAに言えることは2つだけだ。
 
”自分がカメの立場になっていることを知ろう”ということと、
 
”ウサギになれることは何なのか今一度見定めてみよう”ということだ。
 
明らかに歩み(進歩や成長)が遅い場合は、残念ながらその分野ではかけっこをするカメと同じなのかもしれない。熱量が入らない場合なんかもそうと言えるだろう。だったらAは自分がウサギになれるフィールドを探す方が良いと思う。
 
それでもなお、ミュージシャンを続けたいというのなら、音楽において自分のどこが強みになるか考えて出来るだけ競争の少ないフィールドで勝負するべきではないだろうか。
 
結局のところ、高みを目指す限り他者との競争は避けられない宿命なのである。