アンダーグラウンドより

書評・ランキング・オピニオンなど幅広く発信している何でもブログ。だったけど完全なる雑記ブログになりました。

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大人になった僕は自分がゴキブリであることを知った(哲学要素強め)

先日、洗面所にてあいつと出会った。
 
あいつとはタイトルからも分かるように漆黒を小さな体に宿らせた微小な核ミサイルのことなのだが、僕はそんなあいつと洗面所という極めて密閉された空間で久々の再会を果たすことと相成った。
 
今回はその時の話をしよう。ただあらかじめ断っておくが、この話は聞く人によっては不快だと感じられるかもしれないので注意されたし。
 
 

邂逅

一瞬、その黒光りの物体が何なのか認知するのに時間を要したが、特徴的なフォルムと今にもサササという音が聞こえてきそうな動き方で即座にやつだと理解した。そして理解したとたん、身体が凍りついたかのように固まっていくのを頭で感じながら僕は不覚にもその場に立ち竦んでしまった。今年24歳である。
 
しかし、やつはそんな僕をよそに、高みの見物でも決め込んでいるのか、悠然と壁に張り付いて動こうとしない。その辺はさすがに生存競争で勝ち抜いてきただけのことはある。もはや王者の風格すら感じさせやがる。などと感心しながらやや待ってみたものの、結局やつはその場を動こうとしないので、僕はどうしようかと頭を抱えた。
 
カッコつけるわけではないがここで一つ言っておくと、たとえやつが人間が最も忌み嫌う生物であろうと僕は無駄な殺生はしないという主義を持ち合わせているので、叩く網みたいなやつやスプレー、まして履く以外でこれほど有効的な使い道はないんじゃないかと思ってしまうスリッパでさえ、持ち出す気はさらさらない。やらずに済むならそれが1番いい。
 
さりとて、やつに対する根源的な恐怖心と不潔の権化であるという知識はあったので、どうにかしたいとも同時に考えていた。だがよくよく考えてみればやつのいる場所が悪く、退散してもらうには苦労する羽目になるだろうと容易に想像できた。ちなみにあいつは洗面所の奥の方で壁に張り付き、鎮座していた。
 
様々な策を思案した。その時の僕はやつさながら、IQ300は軽く要していただろう。(窮地に立たされるとやつは驚異的な知能指数を見せる。一説によるとIQ340と言われている )
 
結局、驚異的な知能指数を駆使した末、僕は放っておこうと結論付けた。触らぬ神に祟りなしよろしく、放っておけばどうということはないのである。そして僕はそのまま洗面所と直結しているバスルームに入り、シャワーを浴びたのだった。ドア越しにあいつの存在を感じながら。
 

進化

これは僕の中ではとてつもなく大きな変化だった。先ほど殺生はしないと書いといてあれだが、昔の僕なら間違いなくやつの息の根を止めるまで浴室には入らなかったはずだ。それが今や、あいつの存在など初めから無かったかのように振舞えたのだ。変化というより僕は進化していた。
 
もしかしたらこれを読んでいる人の中には、たかがそれくらいのことで大袈裟だなとお思いの方もいるかもしれないので一応言っておくと、大抵の人はやつを家の中で見つけたら有無を言わさず、やる。それもヒトラーも顔負けなほど徹底的にだ。別にそれがいけないと言いたいわけではない。放っておけばあいつは、驚異的な繁殖能力で倍々ゲームのように増殖の一途をたどるのは目に見えているし、不快感も尋常ではない。それは分かる。
 
しかし、しかしだ。
やつとて1つの生命を持ち、同じ地球に住む同居人なのである。そのことに対する理解と尊重は最低限持つべきだとその時の僕は思った。褒められたくてそう考えたわけでもなく恐怖心から解放されたかったわけでもなく、純粋にそう思うに至った(こう書くと本当におかしいやつと見なされる可能性があるけどw)
 
そしてその時同時に、大人になるってことがどういう事か僕は悟ったのである。
 

大人になるということ

まずそもそも、大人になったとは何をもって定義されるのだろうか?
これは様々な要因があるだろう。単純に、飲酒が出来る年齢になったとか車を運転できるようになったとかもあるだろうし、内面的には、人に対する理解度が増したとか責任を持てるようになったとか、まあ色々ある。
 
色々ある中で、僕が考える大人になるということの定義には、”世界に順応すること”が含まれている。
 
どういう事かというと、大人になるとは、身の回りで起こる出来事や刺激に慣れていくことだと考えている。世界とは大げさな表現だと我ながら思うが、まあそういうことである。
 
世界、つまり他者や外的環境のことなのだが、それらに振り回されなくなり共存することが大人になることだと。
 
そのことに24歳で気が付いた。
 
それをさっきの話に戻して考えてみると、さすがにやつのことを理解出来た、とまではいかないまでも、嫌悪感は薄れているしやつの存在にも慣れてきたのだろうから、その分世界に順応出来たと言えるのではないだろうか。少なくとも、ひとつの弱点は克服できたと言える。
 
まあとはいえ、やつを抹殺した人が全員大人ではないと言っているのではなく、賢明な皆さんならお分かりだと思うのだけれど、さっきの話はあくまでそれを気付かせてくれるきっかけになったというだけで、他意はない。あれは結局、僕にとっての一種の通過儀礼のようなものに過ぎなかったのだろう。
 
言うなれば、イニシエーション・ゴキである。
 
クソ寒いギャグは置いといて、僕が本当に言いたいことは、大人になるとは世界に順応するってことだ。
 

僕もあいつもあなたも

 極論だが、やつに対する嫌悪感やとる態度は嫌いな人に対するそれと似たようなものだと僕には思えてならない。そして極論をもってこの話を紡ぐとすれば、人は嫌いな人がいる場合、何とかしてその人物を排除しようとする傾向がある。実際に行動しなくてもそう願っているはずだ。それはまさに理解を拒んだ状態である。
 
だがよくよく考えてみれば、その嫌いな人も物も大きく括れば何かしらの共同体であることに気づくだろう。
 
同じ会社の人間なら共に利害を追い求める共同体だし、全くの他人なら弱さをもった同じ人間という共同体だし、微小な核ミサイルなら同じ地球の住人、というように。
 
そして、そう考えることが出来たなら、瞬く間に世界から敵はいなくなる。みな同じ何かの一部で、その一部によって世界は構成されているということに気付けたのなら。ほら、ビーズもなんかそんな感じの歌出してたし。
 
結局、あなたも僕も大して変わらないし、僕とあいつも生きるために必死という点では同じなのではないだろうか。
 
だからもしかしたら、あなたが僕で、僕があいつなのかもしれない。などという馬鹿げたことを24歳の時分、僕は思う。
 
以上。駄文に付き合ってもらい感謝。
 
 
 P.S
そういえばやつと邂逅した翌日に、同居人が仕掛けていたホイホイにやつがかかっているのを発見してしまった。その様は将来の自分の行く末とダブって見えて、少しだけ僕は寂しくなった。

 

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

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